二人目もまた空に戻る。


久しぶりのブログとなってしまったが、
第二子を妊娠し、7月14日に流産しました。

とっても可愛い男児でした。(夫曰く私似)
二人とも男児ということで我が家は男系なのだろうか。

今仏壇に坊主たちのお骨が

「よっ!かーちゃんおはよう!」

と上から見下ろしてくれてます。

さすがに二人も死んでしまうと心はどこか冷静で強くて嫌、麻痺してるのかもしれない。
あまり感情的ではなく「またか。」といった感じ。

もちろん出産当時は我を忘れ感情的に取り乱し泣き叫び

「私のせいだ」
「ごめんなさい」
「子宮を取ってくれーっ」
「痛いっ早く終わらせろ」(胎盤処理が手こずってた)
「二度と妊娠したくない」

などと暴言を発したが、数日経ち、痛みが消えてくると不思議なもので再び妊娠を望む自分がいる。

せきららに流産当時を振り返りたいが、あまりにも自分の忍耐力とか我慢強さとかに後悔を感じるから
今はまだ自分の感情に刺激的すぎて自分を甚振ることが出来ない。

そして原因不明を今回も言われてしまったので、(胎盤検体結果はまだ)
この病院で追求することはこれ以上不可能なので通院も1ヶ月検診を最後に終了しようと思う。
担当医に2人も亡くした経験ってうざいだろ。

妊娠中に子宮筋腫が痛みそれが原因としか自身では思えないから、
プロの意見からそうじゃなくても子宮筋腫を対処して欲しくて1ヶ月検診後に慶應病院に行くことにした。

なぜ数ある病院の中でも慶應を選択したのか。
夫と話し合い、まず不育症の疑いがあるのかもしれない事、
自身が筋腫の痛みで後悔してる事、
二つを踏まえて同病院は筋腫の手術件数がずば抜けてる事、
不育外来があるという事でまずは同病院を尋ねようとなったから。

しかし、出産した病院で担当医に紹介状を以来した際に言われたのは、
私の場合不育症に該当しないかもしれない。ということ。

?????

私は不育症ではないのか?
第一子も22週3日で陣痛が起きて破水そのまま出産、
第二子も16週3日で陣痛で破水出産。

同じじゃん。
しかも妊娠中期。

私たちの勉強不足なのかもしれないが、担当医には不育症とは赤ちゃんが育たない病気と言われた。
ネット情報だけを信じるのは良くないが流産を繰り返したり、
妊娠中期に流産死産したりを経験した場合は不育症を疑えとネット情報を元に考えてた。

しかし私の場合は、赤ちゃんは元気で週数相当に育っていたので不育症の可能性は低いと言われた。
勿論、検査をして良いと思うが、まずは筋腫からアプローチしたほうが良いかもという事で
子宮筋腫の対処から始めようという事になった。

なんとも目から鱗。
不育症についてももっと勉強して理解する必要があるし、
子宮筋腫が原因だとしたらもっと筋腫に対しての妊娠に対する因果関係を伝える必要があるなと思った。

私達夫婦はもう妊娠を望まないと出産当時は思っていたが、夫婦タイミングも一緒で時間が経つにつれて
検索魔になって再びの妊娠に挑むかはたまた養子縁組を希望するかと子ナシの人生は最終候補となった。

これは一度でも自らの手で我が子を抱いた人なら誰もが抱くのではないかと思う、父性や母性だ。

どんだけ小さくても我が子は可愛いのだ。
とてつもなく可愛いのだ。
どっちに似てるねとかここは私と同じだとか、
自分たちの分身を見てしまえば我が子を失うなど気が狂うほどに愛おしいものなのだ。

だから私達は二人の息子を見て諦めるにはいかなかったということだ。
全ては次の病院次第だけど、私はもう妊娠出産するには遅いと言われる年だ。

夫婦としてもリミットを後5年としている。
50歳でも妊娠出産が可能な現代でも私達はひとまず5年と決めた。

陣痛、出産、後庵、子宮の中を引っ掻き回されて腕を突っ込まれ激しい痛みに耐えて泣き叫び失神寸前の
恐怖を味わっても数日後に再び妊娠を望む。

私はマゾなのか。
完全に麻痺してると思った。
でも我が子が欲しいと思ってしまうのだ。
死んだ2人をもう一度戻して欲しいと。

戻ってこないし、時間も戻らないのに。

そして妊娠しないかもしれないし。

それほどに人生を変えるくらいの強烈な出来事なのだ。

まずは体の調子を取り戻してから今はトコちゃんベルトがお友達。

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