東京生まれ毒親育ち。毒親と認めてからの私の生き方。


ちらっと過去のブログに書いた母親の事。
母との関係は私の生い立ちから今に至ってこれからの自分の人生を左右する大きな課題。
SNSが主流になってから毒親という言葉を知りこれだと思った。
情報が少ない時代はとても息苦しさを感じていた。

友人達の母が亡くなった話を聞いてその後お母さんを大事にしてあげて。
っていう言葉に昔は嫌でもそうしなきゃって自分を負のループに引き戻そうとしてたけど
そう思うたびに息が苦しくなったり何もいつも悲壮感というか人生を楽しめなかった。

親のせいにするのは間違いっていうのは違うと思う。

血が繋がっていてもわたしは私だし母は母だ。
親子であっても一人の人間ということ。

 
毒親から育った私はまず毒親のような人間なのかという不安と自尊心の欠落がある。
何か行動するとネガティブな情報を吹き込まれ性格を否定され自信を失う。

母親の支配下に置かれているから絶対王政というかものすごく他人からの目を気にする。
母の言うことが正しいと思うときとそれは違うと思う時の心のもどかしさ。

しかし母からの愛情が得られなくなるという不安から母の意見に従い始める。

母と私は共依存だった。
毒親と共依存

父親は育児放棄だ。叱られた記憶もない。

自分の意見を言えない子だった。嫌われることを恐れていたから
平気で嘘ついたりどこかでずる賢い腹の黒さで生きる術を身につけていき見えない所で悪さする。
不安定で生意気な目をした可愛くない子供だったと思う。

今の不安はきっと同じようなループで子供を育ててしまうかもしれない。
子供をどう育てていいかわからないということだ。

安心して子供でいる時期がまるでなかったから、いつも不安だった。
そんな不安定な幼少期で思春期は完全に反抗期を利用してグレた。

反抗期があったのは良かったが意味のわからない死にそうな不安は消えなかった。
深い闇のようなことを相談できる人もいなかったというか、
それを間違った愛情として付き合った男性に次々と向けていた。

承認欲求だ。

親との価値観が違うことで目が覚めてそこから親離れをするまでの足の引っ張られようは凄まじかった。

育児、子育てに正解はないけど、同じような歩み方はさせたくない。
それも私の理想論か。

毒親と理解してからその毒親洗脳からどうやって抜け出したら良いのかをずっと考えてきた。
毒親

その気づきだけでも脱出ルートは時間がかかっても抜け出せるかもしれないと小さな光が見えてくるけど
なにせ方法が思いつかなかった。

私には兄がいるが、兄は高校時代から親元を離れ寮生活をしてある意味自立した環境を経験していた。
その兄とは仲が悪かったが(悪いというか一方的にいじめられてた。)

兄が実家から離れ自立した生活を送ることで
不憫さや親に甘えてたことに気付き私にも人が変わったように接し始めてきた。

今じゃ兄嫁にシスコンと言われるくらい私のことをいつも心配してくれる
父親より父親のような存在だがそんな兄に言われたのは早く親元から離れることだと言われたこと。

毒親との関わり方は物理的な距離感が大事だ。

そのバランスを崩してくる可能性があるがそれを保つのはこちら側。
なにせ相手は変われないし理解してない。
舵を切るのは自分だ、コントローラーは私が握っている。

自分も理解するまでにとても時間がかかった。なぜなら悪い場面ばかりではないから。
そこと切り離すのにとても苦しんだし辛かったけど自分の人生を生きにくくしてるのは自分と母だ。

親の所為ではないという言葉に負けずにそういう親の元に生まれたという理解をすること。

自分の所為ではなく親の所為であるって罪悪感がすごかったけど開き直って認めたらすんって心が楽になった。

人間自分に無理してることたくさんあるなって。
自分の苦しみから解放することで今の人生の方が生きやすい。

こういう場合は自分の心に良心はいらない。良心がどんどん傷つけて悩ませていくだけだから。

親の所為にしていい。
というか叶えたい自分の人生を構築したい、それを邪魔してくる奴は親であれ兄弟で友人であれど敵だ。

自分が親になった時子供にビジョンを持つだろう。
自分がこうなったようにはさせたくないと。
それがそもそも子供への束縛だ。

そうさせたくない気持ちはきっと母親も持っていたのかもしれない。
いつの日か周りが見えなくなって、一人で抱えて答えを導き出せなかったのかもしれない。

母は虐待児だった。実家が貧しくて逃げるように家を出て銀行員になりお金を貯め、
父と出会い転がり込むように同棲して結婚した。

 
私は夫に生い立ちを話し理解を示してくれて夫は一緒になって問題を解決しようとしてくれる。

各云う夫も毒親と称した父親からの緊縛から逃げてきた一人だからだ。
私とは内容が違うけどよくある親のレールに従って生かされそうになった人間。

親の決めた学校に入りで高収入の安定した企業にという希望を彼に背負わせた。

夫は大学時代に家を出てから今まで実家には足を踏み入れていない。
そこから家族と疎遠になる。

一人で生きていくと決めて生きてきた。

なので親に対しての嫌悪感というか出会った頃からお互いに家族とは疎遠だった。

それから結婚を決め、婚姻届の証人欄は親である必要はないと思い、自然と私たちは友人に頼んだ。

実家へ夫は連れて行かず、一人で報告だけした。

結婚に関しては喜んでくれた。しかし、

「婚姻届の証人の欄はお父さんに書かせてあげて。」

 
なぜ?なぜだ?
なんで自分の結婚を人生を一人で決めさせてくれないのだろうか。
母親のいいなりに人生を決めるなんてふざけたことぬかしやがってと報告後にまた距離を取った。

夫なんかは事後報告でメールで家族に一斉送信。

彼なりの親に対する思いはとても時間だけが解決してくれるものじゃないとその時思ったし、
私たちはかけおちではないけどそのような状態で結婚をした。

予想通りに夫は義父からメールで責められていたが返信を返すことなく
再び私たちは両親たちと距離を取り始めた。というかもう家族を捨てる覚悟を決めていた。

 
だから式もあげてないし両親同士の挨拶は長男が葬式で対面したのが初めてだ。
それからも両親同士で会うことはしてない。

報告も身近な人たちにだけ報告して結婚生活はスタートした。
いろんな夫婦の家族の形があっていいと思う。

私は結婚式にそもそも興味はなかったし、結局誰を呼ぶとか考えることが面倒くさかった。
見せびらかすものでもないし、結婚式に呼ばれるたびになんとなく疲れるのはそういうことだ。

そして毒親から育つ些細なことでも幸せを感じるのだ。
私は夫入れればそれだけで幸せだった。

 
籍を入れて数ヶ月後に妊娠して半年後に長男が死に、私たち夫婦もさすがに初めての衝撃と憔悴しきって
報告だけで済まそうと思ったが両方の両親、兄、義理の妹が葬儀に駆けつけてくれた。

この時ばかりは子供を失うという未知の経験を息子、娘が先にしたということでどちらの両親さすがに辛そうだった。

夫の両親も夫が可愛くて愛してるに違いない。うちの両親も同じだ。
過剰な愛が毒に変わる。

そこから私たち夫婦も親に対しての考えをよくするようになっていった。

両親たちも今では結婚を祝福してくれている。義母に関しては結婚したことを感謝された。

義母なりの葛藤やいろんな感情はあると思うが、形として私に敬意を払うという行動は見習いたい。

夫も父親とは今更どんな風に接していいか特に話すこともない程度に恨む感情は薄れてきた。
義母の話はよくするから息子はマザコンなのだ。でも私は夫のルーツを聞けるのは嬉しい。

私たち夫婦は好きで両親を毛嫌いしてるわけではないし、
お互いの人生を無理なく幸せに過ごすには私たちには距離が必要だよねという結果に至っただけ。

距離が母にとっても親子の関係にとっても安定してるということを母も自覚してるのだ。

母を愛せるときがくるとするなら彼女が亡くなった後からなのかもしれないと思う。
昔は母の死を考えただけで気がおかしくなりそうだったけど今は母の死を受け入れている。
いつどうなるかわからない覚悟をしている。

うちに限らず毒親とは距離を保つ事が必然だ。
離れるまでの意味のわからない不安感は離れて少し経ってからふわりと消えたのだ。
まさに洗脳と思い込みだ。

子供には旅をされるべきなのだ。
親の都合で振り回すのは虐待、人権問題だ。

子供ができたとしても私は両親を頼らないと決めている。

両親が健在なら頼りなよって他人事のように周りはいってくるけど人んちの事情もしらずにと思うが、
みなさん無い物ねだりだ。

できれば親子関係を修復したいとか願った時期もあったけどそれは諦めたほうが自分の幸せ度は高くなる。

私なんか比にならない位の毒親から育った人はたくさんいる。

脱出して自適に生活してる人は問題ないけど、今渦中にいて苦しんでる人はできれば
早くに気付き自力で逃げ出して一から自分で人生を築きあげることがその先の生き方が楽になる。
簡単なことじゃないし時間はかかる。

そして親の期待に応えなくて良い。
親も自分も一人の人間ということで同じ人生を歩む必要はない。
悩む時間をかけても良い、立ち止まってもいい、苦しんだり挫折したくなる時もある。

自分の人生は全て自己判断だから好きなようにしたらいいのだ。
誰の所為でもないけど誰かの所為にしてはいけない。

親は選べないけど自分の人生やパートナーは選択できるから自分の心と向き合うことが私にとっての人生の転換だった。

何よりも親の思い通りにならなかったから今の私と夫がいるのだと思う。

うちの夫婦はワンピース型よりもドラゴンボール型だ。

みんなで助け合おうではなくて個人個人が強くてその強さを認め合う。

それでうまく成り立ってる。悟空とベジータのような関係だ。

今も常に別々のフィールドで闘っている。
その時間の流れはとても楽しいのである。

  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。