子宮筋腫を腹腔鏡手術で取りました。その②


入院中暇だったのでメモで日記のように箇条書きしといてよかった。
忘れる前に記しておきます。w
便の話なんかも出てくるのでお食事中の方はお控えください。

当日の夜中に疲れ果てていつ寝たのかわからないくらい一人何かと闘っていました。
なんだろうあの発狂しそうな今にも狂いそうな感じの不安定になっていく感じ。
いつのまにか落ちてました。
 
夜中の看護師の物音で私以外の患者さんも何度も起こされたのではないだろうか。
そのくらい雑な動きとでもいうのでしょうか、うるさい!と言いたかった。
毎時間の血圧と体温を計る行為が目を覚ます。不眠症になりそうだ。
 
 
術後1日目
 
肩の激痛は当日の痛みをMAX10にすると7.5くらい。
微妙に減ってるぐらいで痛みはまだ伴う。
 
右側に寝返ると地獄を味わうので仰向けか左下。
仰向けは心臓の鼓動で痛みが波打つので結局左下に落ち着く。
しかし左下ばかりなので床ずれのような痛みが骨盤や腕にで始める。
 
朝真っ先にベットが90度くらいに起こされるがこれまたつらい体勢。
下半身の存在に気づき足のポンプやらお股のふんどしを観察。
いつの間にかふんどし状態になっていたわけだが出血という出血はそこまでない。
生理の後半戦位の量だ。
 
お腹の傷口もおへそにかさぶたのような血の塊があるのと
骨盤あたりと真ん中の3点に1センチくらいの切り傷のようなもの。見た目痛々しくない。
 
しんどさを耐えながら看護師がやってきてホットタオルで顔を拭くよう渡されるが
だるさとしんどさで顔の汚さなんかどうでもよかった。そしてうがいと歯磨きをさせられる。
 
最速の歯磨きを終えてそろそろ廊下を歩いてみようとなる。そのために体を起こさせてたわけだが
体の硬い人はきっと辛い体勢だろうなと体柔らかくて良かったと思う。
 
手術前に筋腫の多さで傷がたくさんできるのでそのため輸血が必要になる可能性があると言われていたが
術後先生にがやってきた時は「筋腫のは19個取りました。出血は650CC出ましたが輸血はしてません。」
と言われたので輸血はしてないが貧血はひどいとおもうからフラフラすることを注意しながら立ち上がれと
美人看護師引き続き対応につき説明される。
 
立つまでにフラッとしたが立ち上がってからのふらつきはなかった。
それよりも傷だらけの子宮の傷口がきっと引っ張りあってるであろうという痛みがある。
でもこれは余裕で我慢できる痛み。
 
病棟の廊下を点滴の手すりに捕まり歩き始める。痛みとツッパリ感があるので直立は出来ない。
前かがみになりながら前日ただ寝てただけの体は傷口を増やし体力さえも奪われてた。
25mくらいであろうか。片道だけで最初は息が上がる。
 
一往復したところで看護師から合格を言い渡され病室に戻り尿道カテーテルとおさらばする。
 
尿道カテーテルといえば、長男の早産時に母体搬送され絶対に動いてはいけないということで
差し込まれたのが初めての経験。
入れ抜きが痛いと記憶していたが今回は全身麻酔後の気を失った状態に差し込まれているのでその恐怖はない。
管が入ってる時も何も違和感なく抜く時も抜けたスッキリ感のが強くここの看護師の腕の良さを褒め称えた。
 
そしてこれからたくさん歩くことを進められる。歩くことで内臓を動かし癒着を防ぐという。
 
帝王切開した経験者たちが語る次の日から歩かされる説、ここで理解。
帝王切開は開腹なのでもっと痛いんだろうけどなんとなくの経験として理解する。
 
ツイッターでも呟いたけど、腹の傷とか消える痛みじゃん、心に空いた虚無感とか
子供抱きたくてももういない成長を見届けられない痛みのがよっぽど辛くて
腹が痛いのは今子供が無事に成長してる喜びがあるからだよっていつも心の中で思ってた。
そんな痛み耐えてやるよ。一生抱けない子供が居ない気持ちわからないだろう。
 
脱線してしまったが、二往復位した頃だろうか、快便体質が功を奏したのか便意を感じる。
 
トイレに駆け込み扉に貼ってある、
こういう体勢をするとお腹に力が入りやすくなりますポスターの通りの体勢になってみる。
前かがみ、かかとを上げる。
 
前日の下剤がまだ腸に浸透していたのかは定かではないが少量の下痢便が出る。
腸の動きは順調。
医師にそのことを話すと拍手され早いですね、とてもいいことです。とお褒めの言葉を頂く。
 
なんやかんやしてるうちにお昼から全粥の食事が再開する。
食欲はあまりなく5分くらい食べて残す。
 
しかし体はとても疲弊してるのか疲れるしんどい。
食べながら疲れてる感じがある。
 
そんな中友人が見舞いに来たいとの事で本音を言うとしんどくて断りたかったが
好意を断るのはとお人好しさが出てしまったのと暇だったしということもあり
見舞いに来てもらうことになった。
 
しかしこの頃突然母がやってくる。
 
連絡もなしに突然だ。
しかも疲れてやってくる。心配してほしいのかそんなこと今の私にできるはずがない。
こちらは友人が来ると前々から伝えてあるはずなのになんて自分勝手なんだと
一言連絡くらいしろと言うと、かまってちゃんを発揮され子供のように両耳を両手で閉じて
聞きたくないアピール。なんなんだ?何しにきた?
 
 
人が術後でどんなことでしんどいかをまるで悟りもせずに心配だからの一言で
勝手に押し寄せてくる。
 
私は当事者だからわかったことがある。
術後ってのはとてつもなくしんどくて痛みに耐えててその痛みやしんどさが落ち着くと
そっと一人になって落ち着きたいのだ。
 
だから周囲が術後なら間違いなく見舞いに行くなら退院間近や退院して落ち着いてから行くと決めた。
それが当事者にとっての思いやりや優しさだと思うからだ。
 
お腹に力が入らず散々説教すると患者さんや手術を待つ家族が使用する待合室で
疲れたと言いソファを占領して寝込み始める。
 
きちがいだ。毒だ。恥さらしだ。
帰れと言っても逆ギレをして再び寝込み始める。周りに患者や家族が居ても自分が一番なのだ。
今思い返しても腹が煮えくり返ってくる。毒親だ。
 
父にすぐさま連絡して連れて帰るよう促す。
私は母が嫌いだ。昔からそうやって他人にどう思われようが我が道を通す性格が大嫌いだ。
我が道の通す場面が御門違い。昔から恥をかかされてきた。
本人は恥だと思っていない。そういう自覚のなさが病気だと思ってる。
 
結婚する少し前から実家と距離を置いてきた。
距離を置くことでコントロール出来たのになぜ不幸になるようなことを自分で巻き起こすのだろう。
 
怒り爆発して説教してる自分を喋りながら私元気だなと客観視できてる自分に驚く。
なんて親不孝な娘だろうと思うかもしれないがそう思われても構わない。
 
そんなこんなで友人が来て事情を話し友人も筋腫を摘出した経験者だったので話が盛り上がる。
 
友人が帰ってもまだなお待合室で横になって寝ている母親を叩き起こすも逆ギレ。
とんだ迷惑やろうだ。いっそのこと出禁にしてやろうかと思う位だ。
 
できればもう関わりたくない。
友人と入れ替わりで夫がやってくる。
早速事情を話愚痴を聞いてもらう。
 
当分距離を置こうと味方になってくれる。ありがたや。
そして父到着し待合室に行くも母は居ないと連絡が来る。
合流して病室も探しても1階に降りてみても居ない。帰った。
 
なんかもう疲れがどっぷりと出る。父には申し訳ないが帰ってもらう。
父の理解があって救われてるところがある。
まだ術後1日目なのに騒がしいったらありゃしない。
動き回ってアドレナリンが出てて夫には術後なのにそんなに元気なのは安心したと笑われる。
笑ってくれる夫で良かった。
 
ようやく皆んなが帰り落ち着き始めると左の腰と恥骨あたりがジンジンと痛いのに気づく。
どうやら熱を持って少し腫れている。
その時はまだおぞましい姿になることを想像もしていなかった。
 
点滴は昼頃に外れ痛み止めはロキソニンと鉄剤が処方される。
1日が5時間ぐらいに感じた術後1日目でした。
 
その③に続く。


子宮筋腫摘出の続きは、こちらからお読みください。

子宮筋腫を腹腔鏡手術で取りました。その③

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